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カップ麺に「スープの素」を入れずに食う理由

カップ麺の技法の続き

なぜカップ麺は飽きやすいのか

いわゆる「まるで生めんタイプ」の商品は、安くてうまい。実売価格以上の満足度を実現している。しかし、おれは「麺職人」や「麺づくり」や「ラ王」や「正麺」をすぐに食べ飽きてしまった。

カップ麺ばかり毎日食べていたわけではない。おれの場合。食べて「うまい!」と感じても、しばらくはおなじ銘柄のカップ麺をふたたび食べる気がしない。

なぜなら、初めて食べたときの感動にはほど遠いからだ。ガッカリする。カップ麺の再食は、最低でも2週間──できることなら30日間はインターバルを設けたい。おれにとって、カップ麺とは忘れたときに食べるものだ。

カップ麺は工業製品である。機械的に大量生産されるがゆえに、調味料の配合における誤差がきわめて少ない。どれを食べても同じ──という既製品としての長所が、かえって「人間の舌には飽きやすい」という性質を生み出してしまう。(一方で、すぐれた「生めんタイプの乾麺」がそなえた工業由来の均一性は、むしろ歓迎したい)

わたしたちヒトの味覚はファジィを好む。同一ではなく、かつ、味蕾がよろこぶ「味のゆらぎ」の範囲内におさまっている料理を「うまい」「おいしい」と感じるのだ。

毎日ビミョーに「味のゆらぎ」が生じる店ラーメンはその条件を満たしているから、すぐれたものは3日を置かずに食べたくなる。(ただし、ラーメン二郎は擬似アルカロイドの範疇であるから対象外)

カップ麺の旨味を決定づけるのは「スープの素」である。もちろん「麺」はラーメンにおいて重要な要素だが、ヒトの味蕾が記憶するのは圧倒的にスープの味や風味にまつわる情報だろう。

均一な品質を目指して工業的に生産されるカップ麺のスープには「味のゆらぎ」が宿らない。ファジィを「快」とするヒトの味蕾が喜ばないため、連続して食べると食傷してしまう。カップ麺それ自体はおいしいのにもかかわらず、ヒトの舌は「そんなにおいしくない」と感じてしまう。カップ麺の生産精度の高さは必ずしもその製品の消費量増加を促さない。

仮説。おれがカップ麺を飽きやすいのは「スープの素」の極まりすぎた均一性が原因ではないか?

実験

カップ麺を作るとき、スープの素を入れない。この食べ方ならば「生めんタイプ麺」にまつわる情報量が圧倒的になり、ひとまず味蕾が食傷しにくい。

さて、今回は「日清麺職人 だし香るしょうゆ」で試した。

日清 麺職人 醤油 90g×12個
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「液体スープの素」を入れなかった図

今回は「かやくの素」だけをカップ内に投入した。アレンジとして「かたくちいわし(無塩・無添加)」を追加した。カルシウムやたんぱく質などの栄養素を補うためだ

スープ抜き「日清麺職人しょうゆ」感想

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お湯を入れて4分経った図

スープをひとくち含むと、ほんのり出汁の風味を感じた。おそらく「かやくの素」に含まれていた成分ではないか。無塩とは言っても元は海産物である「かたくちいわし」の風味も加味されている。

やさしい旨みを頼りに、カップの1/3ほどを食べたあたりで物足りなく感じはじめる。

だが、ここで「スープの素」を追加してしまえば意味がない。麺がのびない程度の熟考のすえ、お茶漬けの素(梅風味)を投入した。

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「永谷園お茶漬けの素(梅風味)」を投じた図

ひと袋ぜんぶ入れてしまったので、やや濃い目の仕上がりになった。しかしながら、生めんタイプの麺を台無しにすることなく、わたしは完食するに至った。(撮影しそこねたが、日清麺職人には焼きのりが付属している。おいしくいただきました)

総評。従来の食べ方にくらべると食傷感はすくなかった。生めんタイプのカップ麺を飽きないままに頻繁に食う方法として悪くはない。しかしながら、お茶漬けの素は「麺職人」にはふさわしくない。もっとベストマッチする食材があるはずだ。

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余った「スープの素」の図

──次回予告
「カップ麺を湯切りしたのちどうやって食べればおいしい?」