2019年夏の近況

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6千円。おれの所持金である。2019年9月2日現在。

先月末に家賃やら公共料金やら何やらを支払ったあとの所持金はもっと少なかった。「翌日払い」をしてくれる労働をおこなって得られた1日分の報酬が6千円というわけだ。『苦役列車』当時の北町貫多が冷凍のタコやらイカやらを運んでもらえる日当とほぼ同じである。

何か冷凍のイカだかタコだかの、三十キロ程もある板状の固まりを延々木製のパレットに移すだけの、ひたすら重いばかりで変化に乏しい、実に単調な作業であった。

 夕方になって貫多は、昼に支給された弁当代の二百円を天引きしてあると云う、待ちに待った日当を受け取り、この作業内容で五千五百円と云うのは妥当な額なのかそれともひどく安いのかもよくわからなかったが、

(西村賢太『苦役列車』から引用)

福岡にふたたび引っ越してきて3ヶ月がすぎた。どうにか生きている。先月はあぶなかった。家賃引き落とし口座において残高不足をまねくところだった。これまた工場労働による「翌日払い」によって乗り切ることができた。

綱渡りの生活である。転居を果たした2019年6月上旬の時点では、ほんのすこし貯えがあった。すぐに働き始めるべきだったが……あろうことか、おれは6月と7月を遊んで暮らした。

6月下旬に就活っぽいことをしたものの、某社から届いた不採用通知をうけて不貞腐れてしまった。

これがいけなかった。内心では「6月はあきらめた。7月になったら本気を出す」と考えていたのだが……7月は吉本の闇営業問題やら京都アニメーション放火事件やらの情報収集に忙しく、さらに7月1日の夕方から我が新居に光ファイバーが開通したものだから、案の定Netflix(1ヶ月無料体験)の海外ドラマシリーズならびにKindleストアのKU読み放題対象コンテンツにハマってしまい、じぶんの残金や就職活動のことを(現実逃避もかねて)すっかり忘れ去っていた。

ようやく本腰を入れて就活をはじめたのは7月第4週の半ばあたり。通勤しやすい天神や博多駅周辺のオフィスワークを狙って応募したけれど不採用の連続。当たりまえである。だれが39歳の肉体労働者あがりをオフィスで雇うのか。まさに「お門違い(おかどちがい)」。当然の帰結である。

2019年9月現在。とにかく生きている。いまのところ、通勤に片道2時間ほどかかる食品工場の翌日払いがおれの命をつないでいる。ここしか雇ってもらえなかった。1回の勤務で5千円~6千円もらえるのだが、それを積み重ねたとしても、1ヶ月に必要な生活費に達するのが「家賃引き落とし日の2日前」とかである。

きわめて危なっかしいのだが、通勤しやすくて交通費も支給してくれるような会社はたいてい「月給制」であり、たとえ採用をしてもらえそうな「月給制の会社」の求人を見つけたとしても、いまのおれには貯えがないので応募できない。

なぜなら月給制のところで働きはじめた場合、1回目の給料を受け取るまでに40日くらいのインターバルがある。どうにか1回目の家賃が支払えても、2回目の家賃支払いまでには所持金が尽きてしまい、場合によっては通勤するための電車賃さえ用意できない事態になる。もちろん「翌日払い」とダブルワークすればよいのだが、シフトのすりあわせで破綻する可能性が高く、ダブルブッキングが発生しようものならば、どちらの職場からも信用を失ってしまう。このように月給制の職を求めることは「二兎追う者は一兎も得ず」状態に陥りがちである。否が応にも「きわめて不利な条件だが翌日払いをしてくれる職場に通う」しかない。転落人生のテンプレって感じである。

 土台貫多のように、根が意志薄弱にできてて目先の慾にくらみやすい上、そのときどきの環境にも滅法流され易い性質の男には、かような日雇い仕事は関わってはいけない職種だったのだ。それが証拠に、彼はそれから三年を経てた今になっても、やはりかの悪循環から逃れられず、結句相も変わらぬ人足の身なのである。

西村賢太『苦役列車』から引用

自業自得がまねいたみじめな状況だが、さほど悲観はしていない。だからといって楽観もできない。

ここからが本題

さっきから「就職」のはなしばかりしているが、おれはべつに会社組織で働きたいわけではない。生活費を求めているだけである。

おれは労働がきらいである。むしろ憎んでいる。であるにもかかわらず、働くのがイヤだと言いながらも、多少なりとも印税収入が期待できるはずのセルフパブリッシング活動をおろそかにして、むしろ肉体労働によって生活費の多くをおぎなってきた。他人様からみれば、おれの行動は矛盾しているが、じつは矛盾していないのである。

さいきん気がついたのだが、「責任をともなう著述活動」はおれにとって「労働」であり「忌むべきもの」である。「責任をともなう著述活動」とは、品質の担保や締め切りをともなうものだ。おれにとってはライター活動がそれに該当する。つらい。だがそれだけで生活していた時期もある。まともなセルパブ小説を書こうとする作業にも苦痛をともなう。おれは「無責任に書くことが好き」なのであって、必ずしも「書くこと」すべてが好きなわけではないのだ。

「責任をともなわない著述活動」はおれにとって「趣味」であり「愉しみ」なのである。たとえば捨てアカウントでつくったブログに書き散らしたり、やっつけ(品質が低い)テキストやセルパブを発表したり。

おれは前者(責任をともなう著述活動)を避けようとしてきた。しかし、たとえイヤでイヤでたまらなくても、それこそがおれのやるべき「労働」なのだ。たとえ才能がなかろうと実力不足であろうと、それこそがおれが積み重ねるべきキャリアなのだ。いまさら気がついてしまった。売上やら反響やら構成やらアイデアやらを考えなくてもよい「翌日払いの肉体労働」に逃げてはいけなかったのである。いまさら気がついた。7年間を要した。

まあ、でも、気がついたところでイヤでたまらないことに変わりはないのだが、いつまでも「翌日払いの肉体労働」をしていては命運が尽きてしまう。おれの人生は詰みかかっている。いまの職場は……交通費は自己負担、いちおう途中からは送迎バスに乗せてもらえるものの、自宅から職場に到着するまでに片道2時間を要する。しかも1日働いて、たかだか6千円。遠くないうちに破綻するにきまっている。

で、どうするか。わからない。見当はつけているが、うまくいくかどうかは……わからない。成立や成就していないうちにペラペラと発表しないほうが創作活動はうまくいく……って、月狂四郎の2019年9月新刊『でんしょのらくがき』に忠告が書いてあった。

もういいかげん、おれが向きあうべき「労働」から逃げるのはやめようと思う。……思うだけでは同じことを繰りかえす。いま「思う」よりも先に進もうとしている。寝る。